12/01/2010

The Last Leaf, what for a lie?



2010年も師走に入りました。銀杏の葉が風に舞うのを見るたびに、『最後の一葉』を想起するのは僕だけかもしれませんが、時間のはかなさを痛感する今日この頃です。

『最後の一葉』は、目的のために適切な手段が正当化されうることを示しているのでしょう。それでもなお、僕は、読み終えた後にいつも逡巡してしまいます。ベッドに横たわっている患者さんは、どんな思いで最後の一葉を眺めていたのだろうか、余生の前に「今この瞬間の苦しみ」を緩和することにこそ意を払うべきではないのか、などなどです。

嘘も方便、しかしながら、真実は時は娘という言葉があるように、いずれ真実が白日のもとにさらされたとき、嘘の責任を引き受ける意思がなければ、けっして使うべきではない、そんな気がします。嘘をつく方も、つかれた方も、傷を負わずにはいられないのですから。

だらだらと書いてしまいましたが、東大で美しい銀杏を楽しめるのもあとわずかです。お時間があったら、ぜひお越し下さい。

RAPS 2010 in San Jose




薬事規制に関する専門家団体(RAPS)の年次会合について

グローバルな視点から医療分野のイノヴェーションを模索、鍵は規制の透明性と競争の促進

ビジョンセンターは、2010年10月24日から27日にかけて、サンノゼ(San Jose McEnery Convention Center)で開催された薬事規制に関する専門家団体(Regulatory Affairs Professionals Society, RAPS)の年次総会に参加しました。年次総会では、欧米のみならずアジアやラテン・アメリカなどの国々に関心が向けられていて、よりグローバルな視点から医療分野のイノヴェーションを促進する方策が議論されました。また、医療機器分野については、アメリカ合衆国で大幅な規制改革が予定されていることから、特別の注目を集めました。

1976年に設立された薬事規制に関する専門家団体(RAPS)は、メリーランド州(アメリカ合衆国)に本部を置く国際的な薬事専門家非営利組織です。薬事規制に関する専門家団体は、医薬品や診断薬などの開発販売に関わる有益な情報を継続的に共有することを通じて、規制に関連する専門家の能力の向上を図り、以って公衆の健康の増進に寄与することをその目的としています。会員は世界52カ国で1万2000人以上、製造販売会社や認証団体などの産業界だけでなく、研究機関、行政機関などさまざまな専門家から構成されています
(詳しくは、日本支部RAPS Japanのサイトを参照下さい。http://www.rapsjapan.jp/Portals/3/Documents/About_RAPS.PDF)。

医療機器の規制については、欧州は改正EC指令(2007/47/EC)が2010年3月に施行されたばかり、アメリカ合衆国は一部の製品について設けられていた簡易な承認手続き(pre market notice)の変更、とりわけ規制の強化を検討中という状況からか、極めて活発な意見交換が行われました。

今回の出席は、医療機器に関連する世界各国の政策の方向性を把握し、わが国において政策提言をする上で、極めて重要な機会になるものと確信しています。

9/25/2010

To be more humility




 久しぶりの投稿です。今回は、国外からブログを書いています。ある調査を終えて、もうすぐ帰国の途。

 今回の調査は、ある国の医療改革、とりわけ医療の電子化を対象とするものでした。わが国では、2002年から厚生労働省のもとで医療の電子化が進められてきました。最初は電子化カルテの導入、次に電子カルテの活用、医療情報の利活用という順序で、医療の電子化の波はより大きくなっています。
 医療の電子化を進めるにあたっては、プライヴァシー保護の問題を無視するわけにはいきません。医療情報の電子化は、不正利用などによって万が一データが暴露された場合には、甚大な被害を発生させる可能性があります。すなわち、本来診療のために利用されるはずの情報、とりわけ病名等のセンスティヴな情報が担当医療チーム以外の者によって不適切に扱われるのではないか、場合によっては病名等のセンスティヴな情報が医療機関の外に漏洩して重大な不利益をこうむるのではないか、という懸念が患者さんにはあるわけです。(僕も含めてですが。)
 今回の調査では、医療情報の電子化、医療情報の利活用にあたってはプライヴァシー保護の問題を最重要視しなければならないことを再確認した次第です。専門家は、プライヴァシーの保護と言ってもゼロ・リスクを実現できないこと、プライヴァシーの保護と医療情報の利活用から得られる利益をバランスさせ、その範囲でプライヴァシー保護を最大限に図ること、国民が利活用履歴を確認できるようにすること、そしてプライヴァシー保護の実効性を確認・担保するために第三者機関にチェックさせること等々、説明しますね。でも、それが一般国民に理解してもらえないようなら、まったく意味を持ちません。分からない方が悪い、分からない方がおかしい、そんな態度ではなく、分かるように、分かるまで、足りない部分については国民、ないしその代表者である国会議員からフィードバックを受けて説明を追加するくらいの真摯な態度が必要だと痛感しました。
 僕は、研究者の端くれとして、相手に専門知識がないことを前提に何かを説明して理解してもらうことの難しさを日々感じています。研究者にとっては課題に対する「謙虚さ」、それも相当の謙虚さが大切なのですね。自分の研究が反証されるかもしれないという謙虚さがあれば、専門知識を持たない人にも時間をかけて説明できるようになるのかもしれません。

7/12/2010

A moment taken by photos





日経新聞を読んでいて、平野啓一郎氏によるある美術展の紹介を見つけました。「古屋誠一 メモワール」です。恵比寿にある東京都写真美術館で7月19日まで開催されているようですね。

写真撮影を趣味にしている人は多いと思います。実はビジョンセンターにも、撮影が好きな人、編集が好きな人、写真を見るのが好きな人など、写真に関心を持っている人がいます。

写真は瞬間を切り取るもの。流れ行く時間を一瞬のものとして把握する作業、といってもいいかもしれません。単に一瞬を永遠にする作業だとしたら、なんだかひどく安っぽくて、虚しくなりますけれど、たぶんそうではないと思います。

例えば、ある友人は、美しい景色を写真に収める人を眺めながらつぶやきました。「素晴らしい光景は、写真に収めるのではなくてまた見にきたらいい。直接見て、脳裏に焼き付けて、またその光景に出会いたくなったら手間隙かけてやってくるしかないのに。。。写真に収めてみても、この感動を味わうにはまた来るより他ないんだから。」

少しの間、僕は友人の言葉にショックを受けて、われを忘れてしまいました。確かにそのとおりかもしれない。でも、少し考えたらわかることですが、二度とない出来事、二度とない瞬間だってあるわけです。人生なんて、その繰り返しかもしれません。また、仮に再び見られる光景だとしても、3年後に同じ場所で同じ時刻に見た光景と今の光景は明らかに違いますよね。

写真にしかできない、写真にしか切り取れないものがある、そんな気がしています。

話を写真展に戻すと、古屋氏は妻の写真を撮影し続けたそうです。出会ってから妻が亡くなるまでの間、一瞬一瞬を切り取っていたわけですね。それぞれの写真に、どんな一瞬が捉えられているのか、興味津々です。

ビジョンセンターでは、ホームページ、学内広報、そしてブログなどで写真を掲載しています。もしよかったら、感想などお聞かせ下さい。

Reading "Economics for beginners




7月7日の七夕から、ビジョンセンター教授の坂田一郎先生の連載が日経新聞「やさしい経済学」でスタートしました。連載名は、「ネットワーク理論でみた技術革新」です。ぜひご一読下さい。

第2回目の連載では、知識の爆発と知識の細分化について説明されています。知識の爆発は科学論文等による知識の発信の急増を、知識の細分化は研究テーマが細かくなって、研究者が周囲を見渡す余裕を失っていることをいうようです。要するに、社会に知識が溢れ、それが細かい問題点にまで及んでいるものの、現在それらの大量かつ細分化された知識は構造化されていません。そのせいで、わらわれはそれぞれの知識間の関係を十分に把握することができず、知識を有効に活用することができない状況にあります。それが、問題というわけです。どうして問題なのでしょうか。

例えば、せっかくの知識を有効に活用できないと、将来有望な技術を見誤る可能性が高まるかもしれません。また、組合わなどによって、何らかのシナジーを生み出すような素晴らしい技術を見出せなくなるかもしれません。これは大きな国家的損失ですし、科学界全体にとっても重大な事態といえるでしょう。

このような問題を解決する重要な鍵が、ネットワーク理論であり俯瞰工学、ということが今後の連載で明らかにされるものと思われます。詳しくはぜひ坂田先生の連載をご覧下さい!

ちなみに僕は、中学生のときにワトソン教授とクリック教授の「二重らせん」という本を読んで研究に関心を持ちましたが、1953年当時には年間100本程度の論文しかなかったそうです。それに対して、今では少なくとも年間10万本の科学論文が発表されているとのこと。研究者の方々にとっては、先行研究や関連論文を見落とさないようにするだけでも一苦労ですね。。。

7/06/2010

Barriers for Medical Device Industry





日経新聞で「ニッポンの医療機器:成長産業への壁」という連載が終了しました。連載は、上、中、そして下という三部作の構成で、わが国の「ものづくり力」を生かして医療機器を成長産業に育てるためのポイントが指摘されています。実に分かりやすい連載記事で、正直驚きました。関心をお持ちの方は、ぜひご覧下さい。

「機器の審査制度や開発体制を抜本的に見直さなければならない。残された時間はわずかだ」

これが日経新聞の連載の結語です。端的にまとめられていますね。

去る6月12日、当センターは先端的な超音波治療器の導入に向けたパネルディスカッションに協力しましたが、そこでも課題は法制度と体制の在り方に大別できるだろう、ということになりました。しかしながら、まだ解明できない点があります。第1に、課題の比重としてどちらがどのくらい大きいのでしょうか。第2に、法制度と体制の在り方を検討する上でかかせないもの、例えば、テクノロジー・アセスメント/レギュレトリー・サイエンスのような手法は、どうやって確立したらよいでしょうか。そのような点については、現在議論を深めているところです。

日経新聞の連載を読みながら、結語が含意するものを可視化できる術を早く手に入れたい、それは透明化(transparency)の実現といっても過言ではない、そんなことを考えてしまいました。

6/23/2010

compliment in chatting





褒められて嫌な人はいないですね。それは、洋の東西を問わないの気がします。先日、ある出張先で空港まで乗り合いタクシーを使う機会がありましたが、会話のはしばしで褒め言葉が使われているのに気づきました。例えば、タクシー・ドライバーと他の乗客は、東京をニュー・ヨークと並ぶ世界有数の素晴らしい大都市だから、ぜひ行ってみたい、と表現するのです。ニュー・ヨークと並び称されるのはともかく、タクシーの運転手と他の乗客が異国の地から来たわたしに気を使ってくれていることを有り難く感じました。

実は、出張先というのはビールと音楽で有名な都市でしたので、わたしもその2つをそれとなく褒めました。褒めた後の方が、乗り合いタクシー内の雰囲気が良くなったのはいうまでもありません。タクシーに乗ってまで気を使うことになったのは予想外でしたけれども、それでもコミュニケーションの神髄、お礼の気持ちを素直に伝えることの重要さを改めて知ったのはよい経験でした。

会話するときには、相手を自然に褒められたらいいですね。ビジョンセンターにいるとさまざまな人と会話する機会があるので、これから気をつけたいと思っています。

6/22/2010

Our First Challenge for Therapeutic Ultrasound on June 12, 2010




超音波治療機器パネルディスカッション開催

東京大学(政策ビジョン研究センター)は、2010年6月12日午後、日本超音波治療研究会 (Japanese Society for Therapeutic Ultrasound, JSTU)主催の超音波治療機器パネルディスカッションに協力いたしました。このパネルディスカッションは、第10回超音波治療に関する国際シンポジウムにあわせて開催されたもので、多数の方に来場いただきました。

革新的な医療機器と医薬品の早期導入は、先日6月18日に公表された『新成長戦略』のなかでも重要な課題の1つとして位置づけられています。一口に「医療機器」といっても様々なものがありますが、超音波治療機器は、そのなかでも日本の優れた技術を活かせる機器として期待されているのです。

しかしながら、わが国ではそのような革新的な治療機器が創出され、患者の手に届くまでに比較的時間がかかる状態が続いています。これを「デバイスラグ」といいます。驚くべきことに、治療機器のなかには欧米と比べて約10年間も導入が遅れているものもあるのです。

超音波治療は、わが国の優れた技術を活かせることはもちろん、費用や有効性の面などの多くの利点を持ちながら、開発や利用について「壁」に直面しています。その壁を生み出している最も大きな要因は、科学技術の進歩のスピードに制度の変化が追いついていないことです。それによって生まれた制度の空白が、革新的な治療を享受する可能性を阻んでいるのです。この問題は、政策ビジョン研究センターが取り組んでいる「テクノロジー・アセスメント」、「科学技術ガバナンス」、そして「制度創造」に関係しています。

残念ながら、デバイスラグの解決に向けた、真に有効な処方箋はまだ明らかになっていません。今回のパネルディスカッションは、医学、工学、医療政策、そして行政学というさまざまな専門家に加えて、産業界の方々を交えて超音波治療の早期導入についてバランスの取れた改革パッケージを見出す、という初めての試みです。

パネルディスカッションの全体司会を務められたのは、東京大学理事・副学長の松本洋一郎教授です。東大からは、モデレーターとして佐久間一郎教授、パネリストとして林良造教授と城山英明教授が参加されました。その他、先端的な超音波治療に取り組まれている医師、 電気機器の国際標準規格の策定に携わる専門家がパネルに加わりました。

また、パネルディスカッションに先立ち、鈴木寛 文部科学副大臣と東京大学の秋山昌範教授をはじめとする4名が基調講演をされました。鈴木副大臣からは、今回のパネルのような現場感覚を持った専門家コミュニティによるガイドライン作成等への協力について期待が表明されました。

今後も、このような枠組みで継続的に意見の交換と提言の発信を行っていく予定であり、政策ビジョン研究センターは、その活動に協力していきます。

5/30/2010

Even During UT School Festival


大学祭の開催中にオフィスに来るのは極力避けたいものですね。楽しそうな人たちを見ると、つられて遊びたい衝動に駆られてしまいます。

東大には五月祭と駒場祭の2つの大学祭がありますが、今週末に本郷キャンパスで開催されているのは五月祭の方です。たくさんの方々が来場していただき、本当に有難い限り。

五月祭をゆっくり楽しむわけにはいかない立場にあるのですが、それでも毎年足を運んでしまうものの1つにピアノの会の「五月祭大演奏会」があります。昨年は知り合いと数曲の演奏を楽しみましたけど、今年は1人でふらっと立ち寄りました。あるショパンの演奏に酔いしれてしまい、しばし研究のことをすっかり忘れてしまったくらいです。

喧騒から少し離れた場所にあるオフィスのある建物のなかは、ひっそりしています。研究しなければ、という現実に引き戻されました。

今週も頑張りましょー。学生の皆さんは、打ち上げして、一息入れてからですね(笑)。

5/26/2010

Some flexibilities needed in systems for centuries




久しぶりの投稿になります。
東京は、もう初夏の陽気です。風はここちよいのですが、日中は暑く感じることが多くなりました。

ところで、皆さんは「まるで時が止まってしまったようだ」と評される都市を知っていますか。世界には幾つかありますが、今日はそのうちの1つブリュージュ(Brugge in Belgium)のお話です。ベルギーの都市の1つブリュージュは、中世から時が止まったような街だと言われています。もともと水運で栄え、「北のヴェネチア」と言われたりもしますね。観光地としても名高い場所です。

時が止まったと評されるブリュージュですが、もちろん実際に止まっているわけではありません。ブリュージュは、観光客が増加している影響からか、わずか4年間で駅の付近が様変わりしてしまいました。駅舎は改築され、ホームが増設、さらには駐車場とモールが併設されるようになりました。この再開発はまだ未完とのことで、今後ますます便利な駅になるとのことです。

中世から時が止まったといわれる街ブリュージュ、そんな場所でも変化を感じることはできるのですね。逆に言えば、万物は流転するではないですけど(笑)、時を超えて永続的に不変のものなんてこの世にはほとんどないということでしょうか。

法制度にも同じことが当てはまります。すなわち、どれほど素晴らしい法制度も、外部環境が変わればそのままでは当初の予定どおりには機能しなくなってしまい、何らかの変容を迫られてしまう、というわけです。

大事なのは変化に対する適応と、それを可能にする柔軟性。

少なくともブリュージュよりも時が早く流れているように感じられる場所にいるわれわれには、そしてわが国の法制度には、変化に対してより機敏かつ柔軟に適応することが求められやすい、と言えるかもしれませんね。

4/17/2010

Snowing in spring days




桜が散って新緑の季節が待ち遠しい今日この頃ですが、都心は降雪に見舞われています。NHKニュースによれば、「東京の都心や宇都宮市などでは41年ぶりに雪が降った日の最も遅い記録に並んだ」とのこと。この記事を読むまでは気候変動(climate change)のせいなのかな、と思っていたのですが、必ずしもそうとは言えないようです。もちろん、気候変動の影響がまったくないとも言えないわけですけど。

4月17日の降雪というのは、過去の数百年のスパンで考えた場合にどのくらい異常なことなのだろう、そしてそもそも、わが国ではどのくらい昔から降雪に関連するデータが蓄積されているのだろう、と窓から外の景色を眺めながら思いをめぐらせてしまいました。

来週からは温かくなりますように。

4/02/2010

Starting in the fiscal year 2010 with a guest from Washington University in St. Louis





平成22年度がはじまりました。新年度もどうか宜しくお願いいたします。

新年度早々、政策ビジョン研究センターには外国からのゲストが訪問されます。あとでもう少し詳しくご報告しますが、今回森田センター長を表敬訪問されたのはワシントン大学医学部長、ラリーJ・シャピーロ教授です。

【訪問者の紹介】

医学部長のラリー・J・シャピーロ教授(M.D., Distinguished Professor Executive Vice Chancellor for Medical Affairs and Dean, Washington University School of Medicine)は、遺伝学、分子生物学、生化学の研究者として著名な方で、医学部長に就任される前にはカリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部で小児科学講座を担当されていました。現在は、医学部長兼ワシントン大学の東大担当親善大使を務められています。

シャピーロ教授は、アメリカ科学アカデミー医学会(National Academy of Sciences' Institute of Medicine)の会員の1人であり、他のいくつかの学会の学会長を務められています(American Society of Human Genetics, the American Board of Medical Genetics, the Society for Inherited Metabolic Diseases, the Western Society for Pediatric Research, and the Society for Pediatric Research)。

シャピーロ教授は、ワシントン大学の学部およびメディカル・スクールをご卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校や同サンフランシスコ校医学部で研究に従事されました。

【表敬訪問の概要】
今回の表敬訪問では、東大担当親善大使就任のご挨拶、ワシントン大学の奨学金プログラム(McDonnell International Scholars Academy Program)の説明、そして学術研究上の交流拡大の可能性について話し合われました。

【政策ビジョン研究センターでの会談】
少子高齢化社会を見据えた医療政策研究の重要性などが話し合われました。アメリカでは医療保険改革の関連法案が連邦議会で可決成立し、医療へのアクセスを拡大させることが今後の急務となるわけですが、それは医療のコストと質の問題を解決するどころかより重要な課題にするものです。他方、わが国でも少子高齢化が急激に進むなかで、どうやって医療へのアクセス、医療のコスト、そして医療の質のバランスを実現するのかが問われています。医療の有効性を比較する研究(comparative effectiveness research)などは、課題解決の第一歩として極めて大きな役割を果たすことでしょう。

ワシントン大学医学部では、テーラーメード医療をはじめとする高齢化に関連する研究が進められているとのことでした。ワシントン大学医療政策センター(Center for Health Policy)では、医学者を中心として医療経済の研究が進められています。

3/27/2010

One of cherry blossom viewing spots at night, "Roppongi Hills"



今週末、ぽかぽかの陽気に促されてお花見された方もいらしゃるかと思います。淡いピンク色の桜を眺めていると、何だかそれだけで楽しい気分になってしまうのはボクだけではないでしょう。

唐突ですが、春は出会いと別れの季節ですね。それは、人ばかりでなくお花、桜もそうだと思いませんか?ようやく開花した桜の花ですが、そんなにゆっくり愛でることができるわけではありません。あっという間にお別れの時を迎えてしまいます。桜の花びらが空に舞う姿を見ていると、はかなさを感じずにはいられません。 

みんなでお花見するのも楽しいですが、夜風に吹かれながら、淡いピンク色の桜を静かに眺めるのもオススメです。桜は東大でもすでに開花していますが、東大の近くだと『六義園』の夜桜見物が有名ですね。『六義園』の枝垂桜、まだご覧になっていない方は今年お試しあれ。

3/26/2010

How do we effectively overcome Medical device Lag?





「人工臓器、日本のギャップ」朝日新聞グローブ第36号(2010年3月22日)をご覧になった方はいますでしょうか?そこでは、欧米と日本では治療用医療機器について患者に届くまでに大きなギャップがあり、それをどうすれば解消できるのかを特集しています。

http://globe.asahi.com/feature/100322/index.html

重要な部分を要約しておきましょう。「審査と承認、なぜヨーロッパが日米に先行するのか」という部分では、日本企業による治療機器の開発が進まない理由が主に2つにまとめられています。すなわち、1つは審査や市場の大きさといった要因以上に、医療機器に関するリスクの受け止め方-事故が起きたら責任追及、風評被害も大きい。いま1つは、医療機器を医薬品と同じ考え方で審査していること。加えて、最後の「医療機器は「成長産業」になれるか」という部分では、ベンチャーの育成、審査プロセスの透明化と政府当局による審査の再考(欧州のように認証機関による審査の可能性)、医薬品と医療機器の規制の区別、医療費への影響と開発インセンティヴの財源調達などが検討課題として挙げられています。

おそらく、究極的な問いは、「ある程度のリスクを承知で、より早く革新的な医療機器の治療を受けたいのか、それとも、リスクを回避するために欧州と米国の審査承認から遅れて医療機器が届くことを甘受するか」ということでしょう。わが国が前者を選択する場合には、「ある程度のリスク」を可視化し、そのリスクをどうやってステイクホルダーの間で分け合うか、そしてリスクが事故という形で顕在化した場合にどうやって是正措置を講ずるべきか、そのような検討をすることになりますね。

他方、後者を選択する場合には、欧州と米国の審査承認からどこまでの遅れを想定内とするのか(受けられたかもしれないよりよい治療にアクセスできない損失の甘受)、原則その遅れを甘受するとしても、例外的にいち早く医療機器を患者さんに届けられる場合を設けなくてよいか、設ける場合にはリスクの分担、事故が生じた場合の是正措置のあり方などについて考えてゆかざるを得ませんね。

特集の一部(G5)には、次のような一文があります:「多くの患者が使う前に、安全性や有効性を確認する審査は重要で、どこまで厳格さを求めるかは、それぞれの国の判断だ」。この一文にはまったく記載されていませんが、「国の判断=われわれ国民の意思の反映」、という大前提を忘れることはできないなぁ、と思っています。

皆さんは、病気になった時にどんな医療機器で、どのような治療を受けたいですか?企業にどんな医療機器を、どのように作ってもらいたいですか?"Overcoming Medical Device Lag"の第一歩は、そこにある気がします。

注:写真と本文に特別の関係はありません。未来が開けていますように、そんな願いを込めています。

3/22/2010

Commencement



もうすぐ卒業式および学位記授与式ですね。ご卒業または修了される方、本当におめでとうございます。ご活躍をお祈りしています。(少し早かったかな(笑)。)

卒業というと、わが国では「graduation」という言葉を想起しがちですが、アメリカでは一般的に「commencement」という言葉が使われています。卒業は「終わり」ではなくて「始まり」または「門出」なのだから、ということのようです。

大学(大学院)で得たものは、必ずや皆さんの旅立ちを支援してくれることでしょう。就職される方、進学される方、その他の道を切り開かれる方、さまざまな方がいらっしゃると思いますが、大学(大学院)で培った知識、経験、そして人脈は、きっと皆さんの人生にとって支えになるときがあるはずです。

逆に言えば、大学(大学院)の側としては、皆さんの門出のための貴い、有意義な準備期間を提供しなければならない、ということになるでしょうか。

卒業式および学位記授与式が、皆さんにとって素晴らしい門出の日となりますように。

3/01/2010

医療安全における法の役割-法ができること

国民が医師や医療制度を信頼して、良好な医療を受けられるように法律を上手く使いたい、その発想はぜんぜん悪くないです。法は合理的な目的を実現するための一手段なのですから。そして医療安全を確立することは、当然ながら合理的な目的といえるでしょう。誰も、不合理なほど危険な医療を受けたいとは思うはずがないからです。では、法律をどのように使えば、より安価に医療安全を確立することができるのでしょうか?

実用法律雑誌『ジュリスト』1396号(2010年3月15日号)には、『医療安全の確立と法』と題する特集が組まれています。そこでは、医療事故が発生し、患者さんが死亡した場合には医療従事者に形式的な刑事処分を行い、その後で行政処分が下されているわが国の現状が示されています。

法は、医療の安全性を高めるために制裁という形であれ、報酬という形であれ、医療従事者に何らかのインセンティヴを与えることができます。しかしながら、あと知恵(hindsight)で事故に関与した医療従事者の行為を咎めてみても、必ずしも医療の安全性が高まるわけではない、ということを忘れるべきではないでしょう。むしろ防御的な医療が蔓延して、医療従事者はもちろんのこと、患者さんにとってもさらに不幸な事態が生じる可能性があります(例えば、患者さんの受け入れ拒否や過剰な検査による医療費の増大など)。要するに、法的なインセンティヴによって医療へのアクセスが制限されかねない、ということです。

医療には危険がつきもので、完全に除去することは困難です(cost prohibitive)。逆に極端なことを言えば、医療を一切提供しなければ、医療従事者は事故に関与しなくて済みます。また、事故のリスクが高いと思われる患者さんの治療を何らかの理由で回避すれば、医療従事者が事故に遭遇する機会は減ることでしょう。仮に事故のリスクが高い患者さんを事前に区別できないならば、より多くの患者さんに対する治療を回避することになります。それでよいのでしょうか?

法は、医療安全を確立するための一手段ですが、医療従事者の方々の協力なくして医療の安全性は高まりません。また、法は使い方を誤れば、医療の安全性を高めるどころか医療へのアクセスを制限し、医療のコストを増大させる可能性さえあります。

医療安全を確立するための法、といってもいろいろあります。法には制裁型もあれば、支援型もあるようです。また、従来のハードローに加えて、ソフトローの活用も検討に値します。

医療安全における法の役割について、いま一度考えてみませんか。

2/25/2010

新居浜調査

当センターでは、超高齢化社会の中で、高齢者が安心して生活できる環境・制度を構築するための研究に取り組んでいます。

今回、高齢者への医療・福祉領域、特に在宅での高齢者への医療・介護について考えるために、愛媛県新居浜市の新居浜医療生活協同組合(以下、新居浜医療生協)を訪問しました。

新居浜医療生協は、地域に根付いた住民参加型の医療・福祉体制を目指して、診療所を中核に、在宅での医療・介護の提供や高齢者向けのシェアハウスの提供を行い、医療と介護を横断したサービスを行っています。

現在、保険制度上では、医療と介護は分離しており、通常は別の機関がそれぞれ医療と介護を担当しています。新居浜では、医療生協が両方の施設を保持することで、医療と介護のサービスをつなげ、一体化させています。

このことによって、医療側の情報はスムースに介護側に伝わり、患者の健康状態にふさわしい介護を行うことが出来、また、逆に介護側から情報が伝わることで、自宅にいても医療側は患者の健康状態を把握したり、予防的処置を試みたりすることが可能となっています。

医療・介護間、そして医療生協と地域との間に、緊密な連携を築くことで、高齢者の方が求めている医療・介護を、必要なタイミングで提供することを目指しています。

住み慣れた自宅での終末期医療を希望する方には、在宅での看取りを行い、高齢者の生活の質の向上に取り組んでいます。

新居浜医療生協は、これらの医療・介護分野での特徴に加えて、高齢社会におけるまちづくりや働き方に関しても、独自の考え方を持っています。

高齢者向け・認知症患者対応型のシェアハウスを設置し、高齢者が共同生活を行う環境を作り出す、あるいは定年制度を廃止し、柔軟性の高い労働環境を作ることで、70代であっても現役で仕事が出来る環境を整備するなど、これまでとは異なるまちづくり、働き方のあり方を示しています。

高齢者が若者に依存せずに、安心して生活できる環境作りを、まちづくりの面からもサポートしています。

高齢者が安心して、いきいきと生活できる社会を作っていくために、新居浜で行われていることは参考になるモデルケースだと考えられます。

そうは言っても、現状の制度の枠組みとは異なる運営方法と取っているため、新居浜医療生協でもいろいろな困難に直面することがあるようです。

それは、財政的な問題であったり、制度的な問題であったりしますが、その都度現場の努力と工夫で乗り越えてきたようです。

政策ビジョン研究センターでは、こういった現場の声を聞きながら、高齢者の安全・安心を担保する地域医療・介護の制度作りに向けて、また良い医療・介護サービスのサステナビリティを作り出すために研究を進めていきたいと思っています。

2/11/2010

可視化 視覚化

研究を進めて行く上で、データの見せ方は、データの質や分析方法と同じく重要な課題です。
コンピュータの発達により、興味深いデータの表現手法が登場しており、当センターでもアニメーションを使って時間による変化を表現するGapminderに注目しています。
(Gapminderの詳細と展開に関しては後日書きたいと思います。)

アニメーションやシミュレーションを使って新しい知見を獲得する、という方向性は、革新的な何を生み出す可能性があると思われますが、問題はどうやってこの良さを伝達するのかということです。
アニメーションを紙面上で再現するのは、非常に困難であり、現在の多くの媒体が紙であることを考えると普及に向けては一工夫が必要かと思います。

そのような取り組みの一つとして、
Journal of Visualized Experiments というものがあります。
この電子ジャーナルでは、実験手法や流れ、結果について、動画を用いて説明することが求められています。
文章では正確に把握出来ない部分も、視覚的に効率良く伝達可能であると考えているようです。

こういった取り組みがどこまで広がるか、まだまだ未知数ですが、すでに大手出版社やPubMedなどと提携をし、広がりを見せ始めているようです。
政策研究への応用可能性なども含め、注目して見てみようと思います。

2/02/2010

ビジョンセンター・ブログ(UT PARI’s Times)開設にあたって

 このたび、ビジョンセンターのブログを試験的に立ち上げました。このブログは、公式ホームページでは発表しにくい現在進行形のできごとや個人的な見解などについて、もっと自由に情報発信することを目的に作成したものです。より多くの方々にビジョンセンターの活動に関心を持っていただければ大変有難い、そのように思っております。
 つきましては、"ポジティヴ・シンキング”で本ブログを閲覧し、場合によってはコメントをいただければ幸いです。本ブログの進展を温かく見守って下さいますよう、スタッフ一同心より深くお願い申し上げます。

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1/22/2010

コーヒー・ブレイクから生まれるもの

政策ビジョン研究センターにいて感じるのは、コーヒー・ブレイクの重要性である。バックオフィスで研究を支援してくれる事務員さん、同僚、諸先生方と気軽に話し合える時間、それがコーヒー・ブレイク・タイムだ。もちろん、単に美味しいお菓子をつまむ時間でもあるのだが(笑)。

ボクは、コーヒー・ブレイクこそビジョンセンターの礎のような気がしている。センターの人間が容易に触れ合える時間がなければ、チームとしてのシナジーはこれほどには生まれないのではないか。

デイジー・ウェイドマン『ハーヴァードからの贈り物』(ランダムハウス講談社、2004年)という書籍には、スティーヴン・P・カウフマン教授の「まずい食事と真実」というお話しが収められている。その一節を紹介しよう(93頁)。

「ここにあげた方法のなかには、初めのうち気恥ずかしく思われたり、わざとらしく思われるものもあるかもしれない。社内を歩き回り、打ちとけた雑談をし、バースディケーキをつまむーそこには確かに、よりよい管理を実現するための計算が隠されている。だが、人は皆、そうやって物事を学ぶのだ。学ぶ過程では細心の注意と練習が欠かせない。」

政策ビジョン研究センターのコーヒー・ブレイク、その楽しさを皆さんにも届けられたらいいのに。

1/20/2010

Test

This is a blog to communicate with people who have interests on PARI's researches and activities.

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