3/27/2010

One of cherry blossom viewing spots at night, "Roppongi Hills"



今週末、ぽかぽかの陽気に促されてお花見された方もいらしゃるかと思います。淡いピンク色の桜を眺めていると、何だかそれだけで楽しい気分になってしまうのはボクだけではないでしょう。

唐突ですが、春は出会いと別れの季節ですね。それは、人ばかりでなくお花、桜もそうだと思いませんか?ようやく開花した桜の花ですが、そんなにゆっくり愛でることができるわけではありません。あっという間にお別れの時を迎えてしまいます。桜の花びらが空に舞う姿を見ていると、はかなさを感じずにはいられません。 

みんなでお花見するのも楽しいですが、夜風に吹かれながら、淡いピンク色の桜を静かに眺めるのもオススメです。桜は東大でもすでに開花していますが、東大の近くだと『六義園』の夜桜見物が有名ですね。『六義園』の枝垂桜、まだご覧になっていない方は今年お試しあれ。

3/26/2010

How do we effectively overcome Medical device Lag?





「人工臓器、日本のギャップ」朝日新聞グローブ第36号(2010年3月22日)をご覧になった方はいますでしょうか?そこでは、欧米と日本では治療用医療機器について患者に届くまでに大きなギャップがあり、それをどうすれば解消できるのかを特集しています。

http://globe.asahi.com/feature/100322/index.html

重要な部分を要約しておきましょう。「審査と承認、なぜヨーロッパが日米に先行するのか」という部分では、日本企業による治療機器の開発が進まない理由が主に2つにまとめられています。すなわち、1つは審査や市場の大きさといった要因以上に、医療機器に関するリスクの受け止め方-事故が起きたら責任追及、風評被害も大きい。いま1つは、医療機器を医薬品と同じ考え方で審査していること。加えて、最後の「医療機器は「成長産業」になれるか」という部分では、ベンチャーの育成、審査プロセスの透明化と政府当局による審査の再考(欧州のように認証機関による審査の可能性)、医薬品と医療機器の規制の区別、医療費への影響と開発インセンティヴの財源調達などが検討課題として挙げられています。

おそらく、究極的な問いは、「ある程度のリスクを承知で、より早く革新的な医療機器の治療を受けたいのか、それとも、リスクを回避するために欧州と米国の審査承認から遅れて医療機器が届くことを甘受するか」ということでしょう。わが国が前者を選択する場合には、「ある程度のリスク」を可視化し、そのリスクをどうやってステイクホルダーの間で分け合うか、そしてリスクが事故という形で顕在化した場合にどうやって是正措置を講ずるべきか、そのような検討をすることになりますね。

他方、後者を選択する場合には、欧州と米国の審査承認からどこまでの遅れを想定内とするのか(受けられたかもしれないよりよい治療にアクセスできない損失の甘受)、原則その遅れを甘受するとしても、例外的にいち早く医療機器を患者さんに届けられる場合を設けなくてよいか、設ける場合にはリスクの分担、事故が生じた場合の是正措置のあり方などについて考えてゆかざるを得ませんね。

特集の一部(G5)には、次のような一文があります:「多くの患者が使う前に、安全性や有効性を確認する審査は重要で、どこまで厳格さを求めるかは、それぞれの国の判断だ」。この一文にはまったく記載されていませんが、「国の判断=われわれ国民の意思の反映」、という大前提を忘れることはできないなぁ、と思っています。

皆さんは、病気になった時にどんな医療機器で、どのような治療を受けたいですか?企業にどんな医療機器を、どのように作ってもらいたいですか?"Overcoming Medical Device Lag"の第一歩は、そこにある気がします。

注:写真と本文に特別の関係はありません。未来が開けていますように、そんな願いを込めています。

3/22/2010

Commencement



もうすぐ卒業式および学位記授与式ですね。ご卒業または修了される方、本当におめでとうございます。ご活躍をお祈りしています。(少し早かったかな(笑)。)

卒業というと、わが国では「graduation」という言葉を想起しがちですが、アメリカでは一般的に「commencement」という言葉が使われています。卒業は「終わり」ではなくて「始まり」または「門出」なのだから、ということのようです。

大学(大学院)で得たものは、必ずや皆さんの旅立ちを支援してくれることでしょう。就職される方、進学される方、その他の道を切り開かれる方、さまざまな方がいらっしゃると思いますが、大学(大学院)で培った知識、経験、そして人脈は、きっと皆さんの人生にとって支えになるときがあるはずです。

逆に言えば、大学(大学院)の側としては、皆さんの門出のための貴い、有意義な準備期間を提供しなければならない、ということになるでしょうか。

卒業式および学位記授与式が、皆さんにとって素晴らしい門出の日となりますように。

3/01/2010

医療安全における法の役割-法ができること

国民が医師や医療制度を信頼して、良好な医療を受けられるように法律を上手く使いたい、その発想はぜんぜん悪くないです。法は合理的な目的を実現するための一手段なのですから。そして医療安全を確立することは、当然ながら合理的な目的といえるでしょう。誰も、不合理なほど危険な医療を受けたいとは思うはずがないからです。では、法律をどのように使えば、より安価に医療安全を確立することができるのでしょうか?

実用法律雑誌『ジュリスト』1396号(2010年3月15日号)には、『医療安全の確立と法』と題する特集が組まれています。そこでは、医療事故が発生し、患者さんが死亡した場合には医療従事者に形式的な刑事処分を行い、その後で行政処分が下されているわが国の現状が示されています。

法は、医療の安全性を高めるために制裁という形であれ、報酬という形であれ、医療従事者に何らかのインセンティヴを与えることができます。しかしながら、あと知恵(hindsight)で事故に関与した医療従事者の行為を咎めてみても、必ずしも医療の安全性が高まるわけではない、ということを忘れるべきではないでしょう。むしろ防御的な医療が蔓延して、医療従事者はもちろんのこと、患者さんにとってもさらに不幸な事態が生じる可能性があります(例えば、患者さんの受け入れ拒否や過剰な検査による医療費の増大など)。要するに、法的なインセンティヴによって医療へのアクセスが制限されかねない、ということです。

医療には危険がつきもので、完全に除去することは困難です(cost prohibitive)。逆に極端なことを言えば、医療を一切提供しなければ、医療従事者は事故に関与しなくて済みます。また、事故のリスクが高いと思われる患者さんの治療を何らかの理由で回避すれば、医療従事者が事故に遭遇する機会は減ることでしょう。仮に事故のリスクが高い患者さんを事前に区別できないならば、より多くの患者さんに対する治療を回避することになります。それでよいのでしょうか?

法は、医療安全を確立するための一手段ですが、医療従事者の方々の協力なくして医療の安全性は高まりません。また、法は使い方を誤れば、医療の安全性を高めるどころか医療へのアクセスを制限し、医療のコストを増大させる可能性さえあります。

医療安全を確立するための法、といってもいろいろあります。法には制裁型もあれば、支援型もあるようです。また、従来のハードローに加えて、ソフトローの活用も検討に値します。

医療安全における法の役割について、いま一度考えてみませんか。