9/25/2010

To be more humility




 久しぶりの投稿です。今回は、国外からブログを書いています。ある調査を終えて、もうすぐ帰国の途。

 今回の調査は、ある国の医療改革、とりわけ医療の電子化を対象とするものでした。わが国では、2002年から厚生労働省のもとで医療の電子化が進められてきました。最初は電子化カルテの導入、次に電子カルテの活用、医療情報の利活用という順序で、医療の電子化の波はより大きくなっています。
 医療の電子化を進めるにあたっては、プライヴァシー保護の問題を無視するわけにはいきません。医療情報の電子化は、不正利用などによって万が一データが暴露された場合には、甚大な被害を発生させる可能性があります。すなわち、本来診療のために利用されるはずの情報、とりわけ病名等のセンスティヴな情報が担当医療チーム以外の者によって不適切に扱われるのではないか、場合によっては病名等のセンスティヴな情報が医療機関の外に漏洩して重大な不利益をこうむるのではないか、という懸念が患者さんにはあるわけです。(僕も含めてですが。)
 今回の調査では、医療情報の電子化、医療情報の利活用にあたってはプライヴァシー保護の問題を最重要視しなければならないことを再確認した次第です。専門家は、プライヴァシーの保護と言ってもゼロ・リスクを実現できないこと、プライヴァシーの保護と医療情報の利活用から得られる利益をバランスさせ、その範囲でプライヴァシー保護を最大限に図ること、国民が利活用履歴を確認できるようにすること、そしてプライヴァシー保護の実効性を確認・担保するために第三者機関にチェックさせること等々、説明しますね。でも、それが一般国民に理解してもらえないようなら、まったく意味を持ちません。分からない方が悪い、分からない方がおかしい、そんな態度ではなく、分かるように、分かるまで、足りない部分については国民、ないしその代表者である国会議員からフィードバックを受けて説明を追加するくらいの真摯な態度が必要だと痛感しました。
 僕は、研究者の端くれとして、相手に専門知識がないことを前提に何かを説明して理解してもらうことの難しさを日々感じています。研究者にとっては課題に対する「謙虚さ」、それも相当の謙虚さが大切なのですね。自分の研究が反証されるかもしれないという謙虚さがあれば、専門知識を持たない人にも時間をかけて説明できるようになるのかもしれません。