7/12/2010

A moment taken by photos





日経新聞を読んでいて、平野啓一郎氏によるある美術展の紹介を見つけました。「古屋誠一 メモワール」です。恵比寿にある東京都写真美術館で7月19日まで開催されているようですね。

写真撮影を趣味にしている人は多いと思います。実はビジョンセンターにも、撮影が好きな人、編集が好きな人、写真を見るのが好きな人など、写真に関心を持っている人がいます。

写真は瞬間を切り取るもの。流れ行く時間を一瞬のものとして把握する作業、といってもいいかもしれません。単に一瞬を永遠にする作業だとしたら、なんだかひどく安っぽくて、虚しくなりますけれど、たぶんそうではないと思います。

例えば、ある友人は、美しい景色を写真に収める人を眺めながらつぶやきました。「素晴らしい光景は、写真に収めるのではなくてまた見にきたらいい。直接見て、脳裏に焼き付けて、またその光景に出会いたくなったら手間隙かけてやってくるしかないのに。。。写真に収めてみても、この感動を味わうにはまた来るより他ないんだから。」

少しの間、僕は友人の言葉にショックを受けて、われを忘れてしまいました。確かにそのとおりかもしれない。でも、少し考えたらわかることですが、二度とない出来事、二度とない瞬間だってあるわけです。人生なんて、その繰り返しかもしれません。また、仮に再び見られる光景だとしても、3年後に同じ場所で同じ時刻に見た光景と今の光景は明らかに違いますよね。

写真にしかできない、写真にしか切り取れないものがある、そんな気がしています。

話を写真展に戻すと、古屋氏は妻の写真を撮影し続けたそうです。出会ってから妻が亡くなるまでの間、一瞬一瞬を切り取っていたわけですね。それぞれの写真に、どんな一瞬が捉えられているのか、興味津々です。

ビジョンセンターでは、ホームページ、学内広報、そしてブログなどで写真を掲載しています。もしよかったら、感想などお聞かせ下さい。

Reading "Economics for beginners




7月7日の七夕から、ビジョンセンター教授の坂田一郎先生の連載が日経新聞「やさしい経済学」でスタートしました。連載名は、「ネットワーク理論でみた技術革新」です。ぜひご一読下さい。

第2回目の連載では、知識の爆発と知識の細分化について説明されています。知識の爆発は科学論文等による知識の発信の急増を、知識の細分化は研究テーマが細かくなって、研究者が周囲を見渡す余裕を失っていることをいうようです。要するに、社会に知識が溢れ、それが細かい問題点にまで及んでいるものの、現在それらの大量かつ細分化された知識は構造化されていません。そのせいで、わらわれはそれぞれの知識間の関係を十分に把握することができず、知識を有効に活用することができない状況にあります。それが、問題というわけです。どうして問題なのでしょうか。

例えば、せっかくの知識を有効に活用できないと、将来有望な技術を見誤る可能性が高まるかもしれません。また、組合わなどによって、何らかのシナジーを生み出すような素晴らしい技術を見出せなくなるかもしれません。これは大きな国家的損失ですし、科学界全体にとっても重大な事態といえるでしょう。

このような問題を解決する重要な鍵が、ネットワーク理論であり俯瞰工学、ということが今後の連載で明らかにされるものと思われます。詳しくはぜひ坂田先生の連載をご覧下さい!

ちなみに僕は、中学生のときにワトソン教授とクリック教授の「二重らせん」という本を読んで研究に関心を持ちましたが、1953年当時には年間100本程度の論文しかなかったそうです。それに対して、今では少なくとも年間10万本の科学論文が発表されているとのこと。研究者の方々にとっては、先行研究や関連論文を見落とさないようにするだけでも一苦労ですね。。。

7/06/2010

Barriers for Medical Device Industry





日経新聞で「ニッポンの医療機器:成長産業への壁」という連載が終了しました。連載は、上、中、そして下という三部作の構成で、わが国の「ものづくり力」を生かして医療機器を成長産業に育てるためのポイントが指摘されています。実に分かりやすい連載記事で、正直驚きました。関心をお持ちの方は、ぜひご覧下さい。

「機器の審査制度や開発体制を抜本的に見直さなければならない。残された時間はわずかだ」

これが日経新聞の連載の結語です。端的にまとめられていますね。

去る6月12日、当センターは先端的な超音波治療器の導入に向けたパネルディスカッションに協力しましたが、そこでも課題は法制度と体制の在り方に大別できるだろう、ということになりました。しかしながら、まだ解明できない点があります。第1に、課題の比重としてどちらがどのくらい大きいのでしょうか。第2に、法制度と体制の在り方を検討する上でかかせないもの、例えば、テクノロジー・アセスメント/レギュレトリー・サイエンスのような手法は、どうやって確立したらよいでしょうか。そのような点については、現在議論を深めているところです。

日経新聞の連載を読みながら、結語が含意するものを可視化できる術を早く手に入れたい、それは透明化(transparency)の実現といっても過言ではない、そんなことを考えてしまいました。