8/08/2013

「成長戦略」の話をしよう(1)

これから何回かにかけて「成長戦略」をめぐる話をしてみたいと思う。今回は第1回目として、成長戦略が生まれた舞台装置について考えてみたい。


かつて「JAPAN」という語がそのまま「自民党」を意味していた時代があった。「JAPAN is BACK」と付された成長戦略の副題のとおり、2013年7月の参議院選挙を経た現在、文字通り自民党の復権は疑いようがないものとなっている。自民党政権が復古的な志向を帯びていることは言を待たないが、この復古的な体制が科学技術分野におけるイノベーションを喧伝するその様には、どこかバランスの悪さを感じずにはいられない。

安倍政権が打ち出した成長戦略は、「アベノミクス」と称される一連の歴史的な金融緩和策と並び、結果的に自民党1強時代の呼び水となった。先行した「アベノミクス」が市場から好意的に受け入れられ、政権への支持率が高く推移するなか、安倍政権はその評価を調達し続ける手段として「成長戦略」というカードを徐々に切っていくことで、支持率を損なうことなく参院選を迎えることができた。

もっとも、この小道具は突然どこからともなく調達されたわけではない。安倍政権の発足当初からすでに種まきがなされていたいわば収穫物であった。政権は、参院選という収穫期を見据えてその成熟度合を巧みに調整しながら果実を実らせてきたのである。

よくよく観察してみれば、その栽培と育成のギミックは伝統的な手法であった。民主党政権末期の野田内閣では、それまで分立・分散していた様々な会議体を集合させ国家戦略会議に一元化させる方向性をみせていた。しかし、政権交代というインターバルをはさみ、それから息つく間もなく多様な目的とミッションをぶら下げた実に多くの会議体が設置され、会議体の乱立が顕著となった。

特徴的なのは、内閣府を中心に実に多くの会議体が新設ないし復活をとげたことであろう。最も代表的なのは、小泉政権下で「官邸主導」「内閣主導」の象徴とされ三位一体改革をはじめとする一連の経済改革を実行する舞台となった経済財政諮問会議である。この経済財政諮問会議の実質的な指揮官であった竹中平蔵氏の去就が注目を集めたのは記憶に新しい。結果的にみれば、竹中氏は古巣である経済財政諮問会議ではなく、内閣官房に新たに設置された産業競争力会議の民間議員となった。竹中氏の去就が注目されたのは、55年体制以降の自民党長期政権の末期にありながら、高い支持率のもとに政治主導を発揮したと「記憶」されている小泉政権を想起させるからである。皮肉なことに、「自民党をぶっこわす」と豪語して登場した小泉純一郎元首相および一連の「小泉改革」ほど自民党の復調を象徴するのに適切なアイコンはない。

では、安倍政権は小泉元首相の模倣を志向し政権安定の道のりを模索したのかといえば、必ずしもそうではない。これまでの政府動向をみるかぎり、類似した方向性を伴いながらも、実際には全く異なるアプローチがとられていたことがわかる。小泉政権が郵政民営化などの結論ありき改革を断行していったのに対して、現在の安倍政権はむしろあえて結論を導かず、課題設定のタームを「魅せる」ことにより支持の調達に成功したといえる。

実際、政治主導の舞台は小泉政権下で重用された経済財政諮問会議ではなく、むしろ新たに設置された産業競争力会議に求められた。たとえば、経済財政諮問会議が策定した「骨太の方針2013」は、成長戦略に代表されるように政権が財政出動を伴う各種政策の実行を掲げている以上、そのトーンはかなり抑制的なものとならざるをえなかった。他方、産業競争力会議における検討が基盤とされている「日本再興戦略- JAPAN is BACK」は、医療、エネルギーをはじめとする科学技術に関する多くの分野におけるイノベーションの推進が掲げられるなど、特に官民の間で印象的に映るものであったように思われる。官僚の側は、8月末の概算要求においてこぞって成長戦略に関連付けた予算要求を行うだろう。また、市場の側はそれらの動向に対して、ロビイングを加熱させるに違いない。

ここには、単に「政治主導」の舞台が別の会議体に移されたこと以上の意味がある。ここでは経済財政諮問会議との比較から次のことを指摘しておきたい。まず、産業競争力会議には経済財政諮問会議と類似した運用がみられたことである。たとえば主要な論点の一つとされた「日本版NIH」の設置は、一人の民間議員による課題設定がなされ、議論が牽引された。それまで蹉跌を繰り返した日本版NIH構想が再び現実味を帯びる形で台頭することになった背景には、このような民間議員の存在感が不可欠であった。この民間議員の重用とそれによる「官邸主導」の印象化という点は、経済財政諮問会議の運用に極めて類似した性格である。

次に、相違点である。なるほど、産業競争力会議は成長戦略の策定に向けて大きな影響力を有し、そして実際にその成果物として「日本再興戦略」が策定されるなどの具体的な実績を誇る。しかし、組織的な面をみれば産業競争力会議は内閣法に設置根拠を持つ経済財政諮問会議と異なり、国家行政組織法上の根拠を有するいわゆる8条機関ではなく、あくまで「懇談会等行政運営上の会合」として位置付けられるインフォーマルな機関である。その意味で、産業競争力会議という会議体は、内閣府の設置以降増殖を続けた非公式の会議体の一つにすぎない。

この非公式の諮問機関を舞台とした「官邸主導」については、成長戦略が各省による概算要求および政策立案に直接的に影響を及ぼすことが予想される点から、以下のような問題が指摘できるだろう。

第一に、民主的統制の不在の問題である。審議会の委員も、懇談会の委員もともに非選出区分でありながら政策課題ないし行政過程に深く影響力を有している点では共通である。しかし、内閣法や国家行政組織法ないし政令に根拠を持つ諮問機関の構成委員については、その地位が政治的任命職であるがゆえに、国家公務員法や国家公務員倫理法などの明文化されたルールによる統制(法による統制)、さらには立法府によるチェックという政治過程による統制を受けることになる。一方で、私的諮問機関の構成員は、産業競争力会議に代表されるように、あくまで「国による委任契約」の対象者でしかなく、法による統制も、また選出区分から統制も存在しない。そのため、民間議員は「官邸主導」のもと政治的な意思決定過程にコミットし、さらには行政活動を統制するなど実質的には政治的任命職と類似する機能を有していながら、外形的にはあくまで「行政運営上の参考に供する」立場にあるという矛盾の問題である。

第二に、責任の所在と範囲の問題である。上記のような地位の不明確さは、同時に民間議員の発言や行動にどれほどの責任があるのかを不透明なものとする。最終的には閣議による承認が得られるのであったとしても、重要課題に関する政策決定を私的な諮問機関とその構成員に委ねることにはやはり不明確な点が多いというほかない。ましてや、「特別枠」の創設などによって予算編成過程に強い影響力を及ぼすとなれば、当該機関の地位や意思決定過程は公正かつ明確でならねばならない。この点については、たとえ「機動性」、「迅速性」などの立法上のコストや行政運営上の効率性を強調する立場からからも、十分な説明を与えることはできないだろう。

第三に、議論の不在による問題である。産業競争力会議は、時間的な制約を受けるなか経済財政諮問会議をはじめとする他の会議体に比して議員の数が多い点が特徴的である。結果として、各議員の発言はその回数、時間ともに極端に限定的であり、単なる民間議員による意見表明の場と化していた。それにより、たとえば「日本版NIH」であれば、問題提起がなされ会議体における課題としての共有ははかられながらも、肝心の「NIH(アメリカ国立衛生研究所National Institutes of Health)がいかなる機関であり、どのような設計のもとに運用されているのかを示す資料等は、少なくとも会議の席上で紹介、共有されることはなかった。一部の民間議員が主張するする「NIH」像がそのまま会議体における共通理解となり、その是非を検証する機会は皆無であったとさえいえる。この「NIH」に関する正しい理解が得られていないという点については、具体的な制度設計を担う健康・医療戦略室および健康・医療戦略参与会合において既に指摘されている点である。

民主党は党是ともいうべき「政治主導」を狭義に解釈、ないし誤解したところから出発し、軌道修正をみることなく崩壊した。むしろ現在の自民党政権は制度的な基盤を持たないインフォーマル体制を構築し、そこを舞台に政策過程を進めることにより、民主党政権が渇望するも決して手にすることのなかった「政治主導」という仕組みを達成しているようにみえる。しかし、このインフォーマルな体制には権力の行使を抑制するためのルールが存在しない点にはやはり十分に注意しなければならない。会議体を舞台にした政治主導を求めるのであれば、明文化されたルールと根拠に依拠した公正な運営が求められる。大きな権力を有する政権であるからこそ、こうしたルールを欠いたままに政策過程が進められている現状に強い憂慮を覚える。