7/18/2013

Research has new insights everytime

こんにちは。梅雨が明けて、少しずつ夏に近づくのを直に感じるようになりました。


2013年の半分を終えて、弊センターも毎年恒例の年報を作成し始めています。1年間の成果をまとめて皆様方にご覧いただく大切な媒体なので、時間をかけて、デザインにも大変な手間暇をかけています。乞うご期待です。


今日は、「研究」について少し書いてみたいと思いました。政策に関連する研究をしていると、コンサルのようにすべての事象を既存のフレームワークで分析してしまいがちで、ともすればこの世の中に新しい発見があまりないかのように振る舞ってしまいます。でも、それは大学に設置されたシンクタンクとしてはあまりに安易な態度かもしれません。


「Aという事象にはBという性質が有り、そうであるならばCという結果がおおむね予想されるし、それはぜんぜん目新しくも何にもない。」というように、ある事象を理解したような気になってしまう自分を最近反省し、もっと謙虚に研究に取り組みたいと考えています。そんなに単純にAからCを導けるはずはないのです。便宜上、何らかの説明を付けることはできるかもしれませんが、それは社会の一部を切り取るからこそ、説明できるに過ぎないと考えています。いろいろな変数を捨象したり、固定したりするからこそ、上記のようなクリアカットな説明は成り立つのです。

実務家の方々は、きっと実際の社会のことをわれわれ研究者よりもよくご存知です。たとえば、実務に携わっている方々に話を伺うと、物事がもっとダイナミックであることに気づかされますし、研究者はより謙虚に、普段は直接触れることができない事象に謙虚に向き合う必要があると思います。見えてない物事を見えた気になっていたら、やはり真実へは永遠にたどり着けませんし、政策に結びつけていえば、決してよりよい解決策を見いだすことはできないでしょう。

法学などは典型で、条文の内容の変化だけに囚われていても仕方ありません。その変化が、社会を実際にどう変容させているのか、人々の暮らしにどのような具体的な影響を及ぼしているのかこそ、大切なのです。


上記は単なる研究をする上での「戒め」で、われわれとしては研究者として、社会により近づいて、より謙虚な態度で研究に取り組みたいと思っております。


昔、「真実は時の娘」という格言を聞いたことがあります。急いで真実を知ろうとしても、そこには時間という大きな壁があって、どうしても限界がある。研究者であるわれわれは、そのことを忘れてはいけないでしょう。早く真実を知りたいなら、解明すべき謎を限定したり、正しさの閾値を変えるしか結局のところ方法はないかもしれない。この格言は、そのことを改めて気づかせてくれるのです。