6/20/2013

青いバラ

こんにちは。梅雨らしい天気が続いていますね。台風が近づいているようで心配です。


今日は、「青いバラ」をモチーフに少しばかり考えていることを書いてみます。

青いバラについては、最相葉月さんの著書が有名ですね。花言葉は不可能だったかな。
でも、今はサントリーが遺伝に組み換え技術によって青いバラをこの世に創出していますから、むしろ夢は叶うという花言葉なのかもしれません。

最相さんの著書の終わりのくだりには、青いバラがこの世に誕生しても、皆が探し求めている青いバラかは分からない、むしろこれは青いバラじゃないという人が出てくるかもしれない、確かそんな話が出てきます。

人それぞれ、青いバラと言ったときのイメージは異なるはずですし、見え方も異なるのですから、当然と言えば当然ですが、他方、科学的には青い色素がないバラに、遺伝子組み換え技術で青い色素を入れているのであれば、科学的には青いバラかどうかを判別することはできそうです(色素の有無という基準に照らせば、ということですけど)。

法政策という分野でも、似たようなことは起こりえます。日本以外の国の制度を導入しようとして計画し、いざ導入してみたら実はモデルとは異なるものになっているように「みえる」ような現象です。直に知らない日本以外の国の制度に対するイメージや理想が人々によって異なれば、当然できあがったものがどれだけ似ていても、これは違う、あれも違う、という声があがるかもしれません。青いバラとの違いは、法政策の場合には科学的にAとBが等しいとはなかなか言いにくいことです。青の色素の有無のような比較的はっきりとした指標があればまだしも、ないことが多いでしょうし、法制度の元になる社会が異なると、法制度の働き方も違ってくるのが普通だからです。

要するに、他の国の制度を輸入するときには、ある程度似せることは出来ても、同じと言うことはありえないし、同じように作っても人々に同じだと認識されるかも、満足されるかもわからないということです。


青いバラのお話し、わたしはときどき思い返しては深いなぁと改めて感じています。
まだ見たことがない「モノ」や「制度」を生み出すとき、それがすべての人にとってではないにしても、より多くの人にとって満足できるというのは果たしてどういうことなのでしょうね。


答えがない、とりとめのない話でした。